下垂体腺腫-闘病記録日記-

(10)【興奮。そして無心へ】下垂体腺腫入院3日目 手術日 2011年11月10日

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今から10年前になりますが、
私は、
下垂体腺腫プロラクチン産出生性腫瘍)の手術をし、
現在、その後特に副作用もなく
元気いっぱいに過ごしております。

なんでこの過去の事を書こう
と思ったのかは以下より↓

(1) 下垂体腺腫-闘病記録日記-Om swastyastu☆ ↑ って何?という方はコチラをクリック♪ 今から10年前になりますが、 私は、下垂体腺腫プロラク...

少しでも下垂体腺腫や何かの闘病をしている人の参考になればと思い、
アメブロに書いた内容をちょっと編集、
解説入れて&並び返してこちらに記載していこうと思います。

書いてある内容により
(つぶやきのみ、泣き言のみの記事はカットしております、泣き言をご覧なりたい方は、下記のアメブロよりどうぞ)
時系列が前後している場合もございます。

元ネタはアメブロより
日々の泣き言など(笑)
カテゴリー:下垂体腺腫左矢印こちらにて記録しております。

yucco
yucco

今から思えば、
手術当日はなんだかワクワクしていた。
どちらにせよ、何かの結果が出る。
そのことに興奮していたのかもしれない。

・麻酔にあがなう事ができるのか?
とか、かってやるものか!と挑戦しようとしていたり…

・うんこが出ないことを心配したり…

・なんのメーカーの医療機器を使っているのか?
と目をギラギラ?させたり

無意識に、悩んでも何も変わらないから、
前向きに生きようとしていたんだなと感じました。
※うんこが出なかったのはきっと本能的にはちょっとは緊張したのだと思う。

当時の私の仕事は
医療機器の業者で営業をしておりました。
取引先は、主に大学病院etc..名大はなんと営業先でした!
ペースメーカー、心臓カテーテルなどの循環器系の医療機器をドクター&病院へ営業しており、主にオペ室に出入りしているちょっとディープな仕事でした。

(10)下垂体腺腫入院3日目 手術日 2011年11月10日

いよいよ待ちに待った手術当日。
朝起きて、もちろん朝ごはんは今日はなし。

今日の流れ
点滴を打つ

部屋を移動するために荷物をまとめる

お昼ごろ
ATストッキングを履く
T字体を付ける(ふんどし)
・手術着に着替える
・手術室からの呼び出し待ち

14時半手術スタート

18時半終了

術後室へ

朝の身支度をしてたら、麻酔科医の先生が来て点滴をつけに来てくれました。

左腕のちょうど手首と肘の真ん中に針。

しかし、ひじのあたりがものすごく痛い。なんでだ?
とりあえず、我慢しよう。

病院から支給してもらったATストッキング(着圧ソックス)をはく。

手術後から、当分動けない為、エコノミー症候群を防ぐために履きます。
私を血栓から守ってくれる英雄です。

これのお蔭で足が浮腫まずにすんで大感激。
ただただ、一週間履きっぱなしだったため(脱がしてもらえなかっった)
臭かっただろう。(あんまり自分では感じなかったが)

photo:01
yucco
yucco
【よもやま話】
この着圧ストッキングがかなり良くて、
退院してからもう一枚欲しくて
ネットで探して購入しちゃった!日本コヴィディエンの!
さすが医療現場で使われているやつ!
こちらリンク貼っておくね→こちら

 

12時頃、お母さん、お父さん、妹が到着。

いつなの?まだ前の人がやってるから時間が確定しておらず
おそらく14時くらいであろうと。

手術前に今日たまたま仕事がお休みだった、遠距離恋愛中の彼氏に電話。

ふんどしの話と、うんこうんちが出ない話で盛り上がる。
(それほど悲壮感は本当になかった笑)

頑張るよと電話を切る。

そういえば…うんこが出ない。

そう思い出したら最後、
うんこのことが気になってしょうがなくなった。

下剤を飲んだから、びちびちだよね!?(汚くてすみません)
手術している間に出たりとか…術後に動けなくて漏らしたりとか…

とても心配になる。

母曰く。
看護師さん達はそういうふうになったとしても、
慣れているから、心配するな。とのこと。(笑)

看護師さん「渡邉さん、そろそろ手術着に着替えて、T字体(ふんどし)つけてくださいね」

私「すみません、まだ便がでてないんです…」

看護師さん「そうなんですか!?でもまだ時間はあるので、ぎりぎりまで待ってみましょうか」

そうこうあって、結局出ず。

看護師さん「でましたか!?」

私「あきらめます」

T字体(ふんどし)装着!
手術着装着!

あとは呼ばれるのを待つのみ!

さっき痛かった点滴のことを看護師さんに言う。

点滴の速度を速めると、めちゃめちゃ痛い。

もしかしたら漏れてるかもとのこと。

そうこうしている間に、手術室から呼ばれた!

手術室の先生と看護師さんと、家族で手術室まで移動。
ストレッチャーにのってドラマみたいに寝ながら行くのかな?と思ったんだけど、
徒歩でみんなでぞろぞろ歩いて向かう((笑)

名古屋大学の手術室は15部屋あります。
(2011年の話)
手術室の前で、家族と別れる。

行ってらっしゃい!

なんかあとで聞いたら、お母さんは泣いてたらしい。

私もちょっと名残惜しかったけど
さほど緊張しておらず、少し興奮状態だった。

これも、
私の職業側でオペ室に納品したり、
オペの立ち会いをしている仕事のおかげで、
緊張しすぎず、びっくりするほど落ちつけていた。本当にツイてる。

手術室の受付の部屋に、担当の麻酔科の先生と手術室の看護師さんが出迎え。
麻酔科医の先生はとってもかっこよかった。

なにか変ったことがない?と聞かれ痛い、点滴のことを話す。

麻酔科の先生ちょっと調べて
「変えましょう。」

と言って右手の手の甲へ変更。あ、痛くない!そうそう点滴ってこんな感じだ!と一安心。

名前と生年月日を確認される。

看護師さん「メガネしてきちゃいましたね!はずしましょう」

とはずされる。

せっかく、なんのメーカーのものを使ってるか?とかいろいろ観察したくて
(医療機器業者魂)ワクワクしてたのでとても残念…

メガネをとるとぼんやりです。

病棟の看護師さんオペ室の看護師さんへの申し送りが終わり、

いよいよ手術室へ移動。

何部屋もオペ室があるのはわかり、
オペ室の入口からはまた廊下があり、教室のようにオペ室が15室並んでます。
廊下の真ん中を全自動で、物品のゴミ収集車が動いてました。

看護師さん「空気読まずにこの子たち動くのよね~」と一笑い。

「第5オペ室になります」

移動中に、消毒中の永谷先生に会い「宜しくお願いします。」

とあいさつ。

ドラマとかで見るまんまの手術室。

この部屋がMRIもある手術室か!

あれだね、あのドーナツ型の。

手術台へ横になる。

麻酔科医の先生、看護師さんや技師さんなど総勢で

心電図や血圧を図るためのカフやサチレーション(酸素濃度を測るもの)を一斉につけられる。

再び名前と生年月日。

腫瘍を取ったところを受けるためにおなかの脂肪を使うために

おなかを消毒。

マスクをつけられる。

「今から麻酔をかけます。ちょっと人工的な臭いがします。咳ががでますが、
咳こんでしまったら思いっきり急き込んでくださいね」

そしたら、なんだかセラミックっぽい匂いがした、咳がでる

ゴホッツゴホ!ゴホッゴホ!

「もっと咳き込んでくださーい」

ごほっごほごおほごほ!

麻酔の瞬間は意識が途切れないように我慢してやるぞ~と思っていたとたん

一気に体が重くなり

その瞬間意識が途切れました

死ぬ瞬間ってこんな感じなんだろうかとふと感じた。

全身麻酔の間ちょっとだけ夢をみた。

自分の脳内マップを見る夢

「渡邉さーん、終わりましたよー」
(私の旧姓は渡邉です)

永谷先生だ。

く、くるしい。

あまり覚えてないけど、

目を覚まして

目が開いたのを確認して

呼吸のチューブと鼻の中の管が抜かれたのがわかった。

うる覚えだけど、

声を出すのも精一杯力がいる

第一声が

「く、苦しい。」

先生たち「苦しいね、もう大丈夫だよ」

そのあと、力を振り絞っていった言葉

「ありがとうございました…」

うるおぼえだけど…
必死にそう言った記憶があります。

麻酔が覚めた時に朦朧とした意識の中

次のような質問をされました。

「(手をにぎられて)握り返してください」
「足をバタバタしてもらえませんか?」
「今日の日付は?」これは違うかも…
「名前は?」

などなど動作確認?がありました。
一つ一つ必死にやった気がする。。

この間もふわふわしていて、自分の体のようで自分の体でないような感覚。

ストレッチャーに移動して、(さぞ私はおもかったであろう…)

オペ室を出たときに

家族と先生が話しているのがちょっと聞こえた

「腫瘍に膜が張っていたのできれいに取れましたよ!」

この言葉だけちゃんと聞こえた。
後は、気付いたら術後室にいました。

今日はお母さんが泊まっていってくれます。

心電図に酸素マスク。尿の管に、点滴、まるで重病人です。

目を開けるのもしんどくて、体も動かない。
言葉もはっするのにとても力を使う。

意識が混同する中、耳だけはちゃんと聞こえる。

体がとてもとても重くて

腕なんてとても動かせない。

そうこうする間に

面会時間は終了して

お父さんと妹は帰宅。

帰るときにお父さんは

鼻の出血を止めるために鼻の前に結び目があり

バカボンのパパ見たいだったみたいで

「バカボンみたい(笑)と言って私を写メって行きましたヽ(`Д´)ノ」

目を開けるのも、話すのも、体も動かせない状態で

怒るに怒れない。

そのあと眠ってしまいました。

看護師さんが、2時間おきに血圧、体温、点滴の様子を確認に来てくれました。

傷口からの出血があり、口から一晩中出ました。

自分では拭き取れなかったので

「カーカーっ」って言うとお母さんが起きてくれて

口から出た血をふいてくれました。

看護師さんにも何回も拭いてくれました。

夜中に熱が38度まで上がり、

口も乾いたなぁと思い始めた時

絶妙なタイミングで

看護師さんが「お口をゆすぎますか?」

と聞いてくれて、あの、買ってきた楽のみで口に含ませてくれて、受け皿(なんていうのかわからない)

で何回かゆすいでくれて、水を飲ませてくれました。
楽のみってすごい!めっちゃべんりやわ!

感謝。一晩中ずっと献身的に看病してくれた母と、

看護師さんの仕事って本当にすごい仕事なんだなぁと思いました。

私にはとてもできない。

夜中にに永谷先生が様子を見に来てくれました。

先生も泊まりなんだ…

途中自分で息を吸う音で目が覚めたりして、

一晩中うとうとしてました。

自分の不思議な体の感覚を

とにかく無心で感じてました。

痛くない。特にどこも痛くない。

とにかく無心だった。

とにかく終わった。

 

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